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2007年03月21日

●ドイツ●ハイデルベルクのドイツ薬事博物館にて(城戸まゆみ)

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  *ハイデルベルク城の中にあるドイツ薬事博物館

「ドイツ薬事博物館で医学・薬学の歴史とルーツを知る」まずここからドイツ薬学修業は始まります。そこで今回はドイツ薬事博物館を中心に報告します。ドイツ薬事博物館では、紀元前古代4代文明時代からの医療を観ることができます。メソポタミアやエジプトでは「病や死は神の怒りにより体に悪魔が憑いたもの」と思われていました。悪魔を体から追い出すために動物の糞や耳垢など悪臭のでるもの、吐剤、下剤などが薬として用いられます。とはいっても植物、動物、鉱物などの薬の種類も500種類以上と豊富でした。その中には、芥子や甘草など、今も薬として使用されるものも多数あります。エジプトで毎朝“太陽神ラー”のために焚かれたという「乳香」やミイラに使われた「没薬」も博物館に展示されています。この乳香と没薬は、聖書にも登場し、イエス生誕時、東からきた賢者たちがイエスに捧げたものとしても知られています。現在の日本でも婦人科系の漢方薬やアロマテラピーのオイルとして使われています。

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*ドイツ博物館の案内掲示板

博物館の通路に沿って時代を進むと、ギリシャ時代に移り、蛇に教わったという医学の神アスクレピオスから医学の父ヒポクラテスの時代となります。医学や薬学の専門家も現われ、異国からの薬が高い値段で売薬されます。ヒポクラテスは、病は体液のバランスが崩れた状態であるという「四液体説」を説き、ハーブや運動療法、養生のための食事療法で自然治癒力を引き出し、体液バランスを調整する治療を行いました。これがローマの医学者ガレノスによって引き継がれていきます。また、ローマでは万病に効く秘伝の霊薬として「テリアカ」が作られます。本来は全ての毒を消す「万能解毒剤」で、毒をもって毒を制すという言葉通り、「毒蛇の肉」も配合されていました。その他に多種類の薬草や動物の骨、鉱物など、いろいろなものが混合されていたようです。博物館では有名な「皇帝ネロのテリアカ」について秘伝成分の一部が皆さんに伝授されました。この「テリアカ」、近代日本に西洋医学を伝えたシーボルトの慣用薬でもありました。

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*ビーダーマイヤー様式の薬局調剤室

中世になると、製薬や調剤は修道院や城の地下などで極秘に行われるようになります。植物学の祖、ヒルデガルトの時代です。修道院は薬草園を所有し、薬草を自家栽培していました。薬事博物館では修道院や地下室にあった調剤室をそのまま展示してあります。当時、薬は高貴なものとして、りっぱな陶製の薬壷に大切に入れられていました。今でもドイツの薬局では、アンティークな薬壷がディスプレイとして大切に飾られていますし、通常使っている薬瓶までもがディスプレイのように整然と並べられています。
さらに薬の歴史を近世まで追っていくと薬効成分を抽出し、さらに化学合成する技術が発展します。それとともに自然療法から化学療法を中心とした医療に移っていきます。

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*薬の展示室にあるテリアカ

現在の医学や薬学はこのような先人たちの知恵が受け継がれてきたものなのです。薬学部が設立されるまでは、薬学の知識は師から弟子へと伝えられました。アポテーカーになるためには、自然学のエキスパートとして修業を積まなければなりませんでした。薬草園で薬草を栽培することがアポテーカーになるための最初の修業だったそうです。5年以上、薬草園での修業を積み、78年かけて知識や技術を習得し、師匠からアポテーカーとしての免状が渡されていました。「薬のことをよく知っているからこそ、薬を大切に扱うことが出来る。また、その薬が規格にあったものかどうかは薬局方に基づいた試験法で判断できるが、そのクオリティを見極める目は経験でしか養うことができない。」と、今も薬草を自家栽培しているHOF薬局のアポテーカーが私に教えてくださいました。そしてハーブを扱う一人の女性薬剤師をうちの魔女です、と紹介されました。今、ネオフィスト研究所に入ると、ラベンダーやメリッサなど、植木鉢のハーブがほのかに香ります。魔女薬剤師としての修業の第1歩が始まりました。
(2004年8月取材)