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2010年01月26日

●日独融合型薬局をめざして-1(吉岡ゆうこ)

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*フリードリッヒ2世の霊廟があるカテドラーレ(パレルモ)

ネオフィスト研究所ではドイツの視察旅行を通じて、ドイツの薬局の優れた点を吸収してきました。日本でそのドイツの薬局のよい点を取り入れた日独融合型薬局をめざして、研修プログラムやグッズの開発を行っています。ヨーロッパの薬局に行くと感じることですが、調剤専門薬局はありません。どこの薬局もOTC医薬品と処方せん医薬品を扱っています。もっと言えば日本でいうところの医療用医薬品の販売も行っています。 
ヨーロッパの医薬分業は神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世が医と薬の分業体制(医薬分業)をひいたことが始まりと言われています。フリードリッヒ2世は、アラビアの薬局制度に習い、法律を作ったといわれています。シチリアに行ってフリードリッヒ2世の足跡も探索してきましたので、追々ご報告します。日本の医薬分業が本格的に始まったのは、15年前(1995年)くらいですから、まだ日本はよちよち歩きの段階です。ヨーロッパとの開きが750年くらいもあるわけですから、時間を簡単に埋めることはできません。しかし、前に進むことはできます。なぜ、薬局ができたのか(世界で最初に薬局ができたのは8世紀ごろのアラビアといわれています)、なぜ医薬分業の体制がひかれたのかの根本を考え、薬局の役割を考えたいと思っています。

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*皇帝と王の霊廟

ヨーロッパの薬局を視察して、感じることのもうひとつのことは、日本の薬局の優れた点です。日独融合型と言っているように、よい点はなんとしても残さねばなりません。ヘレニズム文化(ギリシア風の文化)ということばがあります。アレクサンダー大王の東方遠征のおかげで、ギリシアの文化が東方へ伝搬し、ギリシア文化とオリエント文化が融合し新しい文化が開化しました。アレクサンダー大王の時代(紀元前330年ごろ)からローマによるエジプト併合(紀元前30年)までのおよそ300年間の文化をいいます。日本の法隆寺や唐招提寺にもそのヘレニズム様式が伝わっています。アレクサンダー大王は33歳という若さで亡くなりましたが、彼は後世に多くのものを残しました。歴史を学び、歴史を教訓としながら、あれやこれやと日独融合を模索しています。

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*カテドラーレはさまざまな建築様式が複合していた