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2007年05月12日

●イタリア●薬剤師ルネサンス(吉岡ゆうこ)

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     *1513年のダ・ヴィンチ自画像

2007年、神戸で開催される日本薬剤師会学術大会のメインテーマは「薬剤師ルネサンス」です。1994年、私が代表を務めていましたアポプラス研究会においてアポプラスフォーラム‘94「薬剤師・ルネッサンス」と題してシンポジウムを開催したことが思い出されます。
医療法の中に医療の担い手として薬剤師が明記され、医薬分業が進展の兆しを見せ始めた頃のことです。それから13年、医薬分業は進展し、処方せん受取率は50%を越えるようになり、2007年には医療法の中に調剤を実施する薬局が医療提供施設として明記されました。しかしながら今後の薬局や薬剤師はどのような方向に進んでいくのか暗中模索の状態が続いています。2006年夏に、イタリアで発祥したルネサンスとはどういうものだったのかを直に肌で感じたく、イタリア薬学視察旅行に出かけました。
2003年、ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」が出版され、それは瞬く間にベストセラーになり、2006年には映画も公開されました。過去の人であったレオナルド・ダ・ヴィンチは一躍脚光を浴びています。レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリアのフィレンチェ近郊、ヴィンチ村で生まれ、17歳の頃メディチ家が支配するフィレンチェのヴェッロキオの工房に入りました。そこから彼のルネサンス時代における芸術家、建築家、科学者、医者としての営みが始まります。ダ・ヴィンチ・コードではミラノの聖マリア・デッレ・グラツイエ教会にある「最後の晩餐」、それからルーブル博物館の館長のダイイングメセージの中に「ヴィトルヴィウス的人間」がでてきます。「ヴィトルヴィウス的人間」は宇宙法則を表す円と正方形とに内接して中心に人間がいます。ヴィトルヴィウスは紀元前1世紀のローマの建築家の名前です。ダ・ヴィンチは彼が書いた「建築論」を読んで感激して鏡の中に自分の姿を映し出し、デッサンした、描かれている人物は40歳頃のダ・ヴィンチ自身であると言われています。
ダ・ヴィンチ・コードが発刊される前から、レオナルド・ダ・ヴィンチには少なからず興味がありました。欧米の医学書の表紙に「ヴィトルヴィウス的人間」というダ・ヴィンチのデッサン画が用いられることがあります。最初に目にしたのは15年前アメリカのクリニカルスキルプログラムという通信教育のテキストにおいてでした。このテキストはネオフィスト研究所の教育プログラムのお手本になっています。それからヨーロッパでも医学関連の書籍の表紙によく登場します。

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*アメリカの通信教育のテキスト

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*ドイツのファーマカードのパッケージ

このブログのタイトルバックは、ダ・ヴィンチの「ヴィトルヴィウス的人間」とトレビの泉のヒギエイア像、イタリアの薬局のマーク、イタリアのフィレンチェの街並み、ドイツの古い薬局の薬壺などのです。ネオフィスト研究所の薬学の歴史に対する畏敬の念と、薬剤師ルネサンスに対する情熱を現しています。